鳥海修の学歴や経歴は?多摩美術大学から文字塾塾長で明朝体の教室著者

当ページのリンクには広告が含まれています。
スポンサーリンク
 

鳥海修さんは日本を代表する書体設計士として知られ、「ヒラギノフォント」や「游明朝体」「游ゴシック体」など、多くの人々が日常的に目にする書体の開発に携わってきました。

鳥海修さんの経歴はどのようなもので、どのような経緯で日本の文字文化に大きな影響を与える人物へと成長したかをみていきましょう。

スポンサーリンク
目次

鳥海修のWikiプロフィール!出身や年齢は?

https://x.com/torino036/photo

プロフィール

  • 名前:鳥海修(とりのうみ おさむ)
  • 生年月日:1955年3月13日(2025年3月現在70歳)
  • 出身地:山形県遊佐町
  • 職業:書体設計士
  • 現在の役職:字游工房代表取締役(退任)、私塾「松本文字塾」塾長、京都精華大学特任教授

鳥海修さんは、1955年3月13日に山形県遊佐町で生まれました。幼い頃から自動車に強い興味を持っている少年でした。

鳥海修さんは高校3年生の時にカーデザイナーになりたいと思い立ち、美術大学への進学を決意します。



しかし、大学での経験が彼の人生の方向性を大きく変えることになります。

大学でのどのような出来事が人生の方向性を変えたのでしょうか。

スポンサーリンク

 鳥海修(書体設計士)の学歴や経歴は?

鳥海修の学歴や経歴を見ていきましょう。

学歴

  • 高校:酒田工業高校(現・酒田光陵高校)機械科
  • 大学:多摩美術大学グラフィックデザイン学科

鳥海修さんは高校3年生の時、カーデザイナーになりたいと考えていました。



彼は工業高校の機械科に通っており、製図の授業が得意でした。



その後、カーデザイナーになるために美術大学に進学し、グラフィックデザインを学びました。


当初は広告デザインよりもプロダクトデザインに興味があり、カーデザインに惹かれていました。

しかし、大学在学中に毎日新聞社のフォント製作課を見学したことがきっかけで、書体制作に興味を持ち、カーデザイナーの道から書体設計士としてのキャリアを歩むようになったのです。


この、たまたま見学した毎日新聞社のフォント製作課が人生を変えるとは、何がきっかけで興味が変わるのかわかりませんね。

主な経

大学時代の転機(1975年、20歳)


多摩美術大学在学中、鳥海氏は毎日新聞社東京本社のフォント製作課を見学する機会を得ます


この経験が彼の人生の転換点となりました。

特に、案内役を務めた小塚昌彦氏の「日本人にとって文字は水であり、米である」という言葉に深く感銘を受け、書体制作の道を志すきっかけとなりました。


動画がありました。ご覧ください。

スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次