日本を代表する歌姫、髙橋真梨子さん。
彼女はその圧倒的な歌唱力と美しい表現力で、長年にわたり多くの人々を魅了してきました。
そんな髙橋真梨子さんの若い頃は、音楽への情熱と美貌が際立っており、芸能界デビュー当時から注目を集めていました。
本記事では、髙橋真梨子さんのプロフィールや若い頃の写真、そしてスクールメイツ時代のエピソードを中心にご紹介します。
髙橋真梨子のWikiプロフィール!出身地や学歴は?
髙橋真梨子さんのプロフィールです。
- 本名 広瀬真梨子(ひろせまりこ)
- 生年月日 1949年3月6日(2025年4月現在76歳)
- 出身地 広島県廿日市
- 身長 155cm
- 血液型 A型
髙橋真梨子さんは1949年3月6日生まれ、広島県廿日市市出身で福岡市育ちです。身長155cmで血液型はA型。
髙橋真梨子さんの学歴と経歴は以下の通りです。
- 中学校: 福岡市立高宮中学校を卒業。
- 高校: 福岡県の九州女子高校(現・福岡大学附属若葉高校)に入学後、16歳でプロ歌手を目指して上京し、東京都の駒沢学園女子高等学校に転入。
- 大学: 進学せず、高校卒業後は芸能活動に専念。
髙橋真梨子さんは、両親の不和や父の被爆後遺症など、複雑な家庭環境の中で育っていて
父親がジャズ演奏家だった影響もあり、幼い頃から音楽に親しみ、歌うことが唯一の救いという環境の中にいました。
中学校時代には学校に内緒で福岡・中洲のナイトクラブで歌うなど、早くからプロとしての活動をしていました。
高校時代に渡辺プロダクションから声がかかり、東京でで本格的なレッスンを受けながら、「スクールメイツ」の一員として芸能界デビューしました。
しかしその後、自分らしい音楽を追求するために渡辺プロを退所し、博多へ戻りライブ活動を開始しました。
1972年、23歳頃に中洲のナイトクラブで歌っていたところ「ペドロ&カプリシャス」のペドロ梅村にスカウトされて二代目ボーカルとして参加することになりました。
その翌年1973年には「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」などがロングヒット。
翌1974年の『第25回NHK紅白歌合戦』に「ジョニィへの伝言」で初出場を果たしました。
そんな髙橋真梨子さんの若い頃が可愛くて、美人なので画像と共に紹介していきます。
【画像】髙橋真梨子の若い時がかわいい!昔の写真も美人!
19歳の頃。
博多の『focus』にて。
博多に戻った後、中洲や米軍クラブで歌っていた頃の写真では、大人っぽさと華やかさが増し、プロ歌手としての風格が感じられます。
髙橋真梨子さんの若い頃は、その美貌と独特な色気が際立っていました。
彼女の昔の写真を見ると、その魅力が今でも多くの人々を惹きつける理由がわかります。
成人式なのでしょうか、着物姿の珍しい写真もありました。印象が変わって和服もとても似合いますね。
1972年に加入したペドロ&カプリシャス時代には、「ジョニィへの伝言」や「五番街のマリーへ」のヒットによって全国的な人気を獲得。
この頃の写真では、美しい歌声とともにその存在感が際立っています。
ソロ歌手としてデビュー後、髪が短くなって、また違う印象の美人です。
ソロになっても数々のヒットを飛ばした歌姫です。
【画像】髙橋真梨子の芸能界デビューはスクールメイツ!昔の画像もかわいい!

スクールメイツ時代
1966年に「スクールメイツ」としてデビューした際の写真では、清楚で可憐な印象が強く、当時から注目されていました。
髙橋真梨子さんは16歳で上京し、駒沢学園女子高等学校へ転入。渡辺プロダクションでレッスンを受けた後、1966年に「スクールメイツ」の一員として芸能界デビューしました。
現在の高橋真理子さんからは想像できませんでしたが、こうしてみると16歳の若い時の髙橋真梨子さんの姿はとても可愛らしいですね。
4人組コーラスグループ「スカーレット」にも参加しました。
髙橋真梨子さんが所属していた「スクールメイツ」時代の主な活動は、有名歌手のバックコーラスやダンサーとしての活動です。
特に、ザ・ピーナッツのバックで踊ることがあり、そのパフォーマンスを間近で見られることに感動していたと語っています。
渡辺プロダクションの育成プログラムの一環として、歌や踊り、演技、楽器演奏などのレッスンを受けていたので、後の音楽活動に大きく役立ったとされています。
さらにスクールメイツは当時、NHK紅白歌合戦やバラエティ番組『プラチナゴールデンショー』などに出演する機会が多く、髙橋真梨子さんもその一員としてテレビに登場していました。
1960年代後半から1970年代にかけて、地方で行われるイベントやステージショーにも参加。
大阪万博のオープニングイベントなど、大規模な催しにも出演しました。
このようにスクールメイツは芸能界で活躍するスターを育成する場でもあり、森進一さんや布施明さんといった同期たちとともに、将来を期待される存在でした。
しかし、元々ソロ歌手を目指して上京した髙橋真梨子さんは、バックコーラスやダンス中心の活動に「自分が本当にやりたいこととは違う」と感じていて、渡辺プロを退所しました。
髙橋真梨子さんの音楽キャリアにおいてこのスクールメイツの時代の経験はとても重要な基盤となっています。
まとめ・【画像】髙橋真梨子の若い頃がかわいい!スクールメイツで芸能界デビュー
髙橋真梨子さんは、若い頃から美貌と才能で多くの人々を魅了してきました。
「スクールメイツ」で芸能界デビューした彼女は、自分自身の音楽性を追求するために博多へ戻り、その後「ペドロ&カプリシャス」で大成功を収めました。
その歩みは現在まで続いており、日本音楽界における伝説的な存在となっています。
彼女の昔の写真を見ることで、その魅力や努力が改めて感じられるでしょう。
これからも髙橋真梨子さんの音楽と人生に注目していきたいですね!

コメント