世界最高のレストランとして名高い「noma(ノーマ)」で、
唯一の日本人ヘッドR&Dシェフとして活躍する
髙橋惇一さん。その経歴に驚きます。
思い立ったら即行動の人!
ノーマに入るきっかけとなったのは、なんと偶然目についた本
その出来事についても詳しく見ていきましょう。
髙橋惇一(たかはし・じゅんいち)のWikiプロフィール!学歴や経歴も!
- 名前:髙橋惇一(たかはし・じゅんいち)
- 生年月日:1983年
- 出身地:宮城県
- 職業:北欧料理人、nomaのヘッドR&Dシェフ
- 出身校:服部栄養専門学校
- 趣味:ランニングとデイキャンプ1
髙橋惇一さんは、1983年生まれの宮城県出身の料理人です。
2025年2月現在、41歳になります。
小さい頃から料理に興味を持ち、「将来やるなら料理がいいな」
と思っていて、服部栄養専門学校に入り勉強しました。
実はパティシエになりたかったと言います。
しかしやりたい人が多すぎて
パティシエはあきらめました。
その後フランスに修行に行こうと思っていましたが
ある本をきっかけにデンマークに行って
レストラン「noma」で食事をしたことで
人生がはっきりしました。
髙橋惇一さんは、世界的に有名なレストラン「noma」で、
唯一の日本人ヘッドR&Dシェフとして活躍しています。
nomaは「世界のベスト・レストラン50」で複数回1位を獲得し、
ミシュラン三つ星にも輝く世界的なレストランです。
髙橋惇一さんは、nomaのテストキッチン「ラボ」で
新しい料理の研究開発を担当しています。
髙橋惇一さんの仕事は、創造性を重視し、チーム全体で
クオリティを追求する環境を作ることです。
日本人としての視点や技術だけでなく、
柔軟な思考と行動力で結果を出すことにこだわり続けています。
髙橋惇一(北欧料理人)の経歴がヤバイ!デンマークへ直談判でnoma入り

髙橋惇一さんの経歴は、まさに料理人としての情熱と挑戦精神に溢れています。
その道のりを詳しく見ていきましょう。
- 料理の基礎を学ぶ
- 2001年:服部栄養専門学校の昼1年コースに入学
- 2002年:服部栄養専門学校を卒業
- 東京でのフランス料理修業
髙橋さんは卒業後、東京にあるフランス料理店で腕を磨きました。- 「ヌキテパ」「ラ・レプブリック」「カラペティ・バトゥバ」
- 運命の出会い
2011年、髙橋さんは偶然手にした『ノーマ 北欧料理の時間と場所』という料理本に衝撃を受けます。 - デンマークへの挑戦
- 2011年:コペンハーゲンに渡り、nomaで食事
- 食事後、シェフに直談判し、研修期間を獲得
- nomaでの成長
- 研修生として入社後、仕込みや掃除といった下働きに従事
- 『サタデー・ナイト・プロジェクト』で自ら考案した料理が評価され、正規スタッフに昇格
- 2016年:『テストキッチン』のスーシェフに就任
- 現在の地位
- 世界最高のシェフと評されるレネ・レゼピの元で”Head R&Dシェフ”としてメニュー研究開発に従事
- nomaのクリエイティブ・チームのR&Dシェフとして、メニュー開発を担当
髙橋惇一さんの経歴で最も驚くのは、nomaへの入社方法です。
当時、nomaはすでに世界中から志願者が殺到するほど有名で、
研修生枠にも空きがない状況でした。
さらに、髙橋惇一さんは英語も話せない状態でした。
それにもかかわらず、直談判で研修期間を獲得し、
わずか5年でスーシェフまで登り詰めたのです。
この経歴は、髙橋惇一さんの料理への情熱と挑戦精神、
そして卓越した才能を如実に物語っています。
一番最初に料理に興味を持ったのは親が作ったオムライスで
なんとなく「将来やるなら料理がいいな」
から始まって
最初はパティエになりたかったのをあきらめて
フランス料理店で修行し、本場フランスへ行こうと思っていたのに
偶然手にした『ノーマ 北欧料理の時間と場所』という料理本に衝撃を受け
コペンハーゲンに渡り、nomaで食事をして
美味しすぎた料理に衝撃を受けて
「ここしかない!」と食事後、シェフに直談判し、研修期間を獲得!
すごい経歴ですね!
今では世界No.1レストランと言っても過言ではない
コペンハーゲンのnomaでメニュー開発責任者を務める高橋惇一さん。
また、髙橋惇一さんは後進の指導にも熱心で、
「目の前の小さなことにひたむきに取り組むことで、新しい景色が見える」
という哲学を持っています。
自身が受けた感動体験を料理を通じて他者に伝えることを目指し、
nomaで培った革新性と日本の職人文化の融合による新たなスタイルを模索し続けています。
実際に動画で詳しく話しています。ご覧ください。
髙橋惇一が日本初nomaシェフのきっかけは偶然手にした料理本
髙橋惇一さんがnomaに入るきっかけとなったのは、
偶然手にした一冊の料理本でした。
この出来事は、彼の人生を大きく変える転機となりました。
当時、髙橋惇一さんは東京のフランス料理店で働いていました。
そこで彼は『ノーマ 北欧料理の時間と場所』という料理本を手に取ります。
この本との出会いが、髙橋さんの人生を大きく変えることになりました。
髙橋惇一さんは、この本に掲載されていたnomaの料理に衝撃を受けます。
彼はこう語っています
当時働いていた東京のフレンチ店にnomaの料理本があったんです。
https://discoverjapan-web.com/article/112473
今まで見てきた料理は、見た目で味の想像がつくことが多かったのですが、nomaの料理は味が想像できなくて、衝動的に現地で食べてみたいと思いコペンハーゲンへ行きました。
2011年のことです。
実際にnomaで食事をした髙橋惇一さんは、その体験に圧倒されます
「ひと皿目から頭をガツンとやられました。サービスも料理も素晴らしく、あまりに興奮して途中からは記憶がないほどです。覚えているのはその足ですぐに履歴書を出したことです。」
ここで直談判したんですね。
この体験が、髙橋惇一さんをnomaへの挑戦へと駆り立てました。
しかし、道のりは決して平坦ではありませんでした。
当時のnomaは世界中から志願者が殺到する人気レストランで、
研修生枠にも空きがない状況でした。
さらに、髙橋惇一さんは英語も話せない状態でした。
それでも、髙橋惇一さんは諦めませんでした。
彼は「願うような気持ちで半年待っていた」と言います。
そして、ついにチャンスを掴みました。
この偶然手にした本とそれに続く果敢な挑戦が、
髙橋惇一さんを世界最高のレストランの重要な一員へと導いたのです。
しかし2025年7月に閉店することが決定しています。
閉店後、nomaは「noma3.0」として新たな形態に移行します。
2025年以降、nomaは「巨大なラボ」として味と食材の実験を続け、
革新的な料理と食のコンセプトを創造していく予定です。
また、世界各地でのポップアップレストランを通じて
、引き続き食事を提供する機会を設けるとしています。
この変更は、高級レストラン経営における労働条件の課題や、
持続可能性の問題に対応するためのものとされています。
時代とともに変化していくのですね。
まとめ・髙橋惇一(日本初nomaシェフ)の経歴がヤバイ!きっかけは料理本
今回の記事では髙橋惇一さんの驚きの経歴と、
日本初のnomaシェフとなったきかっけなどをお伝えしました。
髙橋さんの経歴は、偶然の出会いと、それを活かす決断力、
そして継続的な努力の重要性を教えてくれました。
一冊の料理本との出会いが、
世界最高のレストランで活躍する道を開いたというのもすごい話です。
髙橋さんの言葉
「目の前の小さなことにひたむきに取り組むことで、新しい景色が見える」は、
料理の世界だけでなく、あらゆる分野で挑戦を続ける人々への励ましとなるでしょう。
今後も、髙橋惇一さんの活躍と、
彼が生み出す革新的な料理に注目が集まることは間違いありません。
世界最高のレストランで、唯一の日本人ヘッドR&Dシェフとして、
彼がどのような「新しい景色」を見せてくれるのか、楽しみでなりません。

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