小栗祐治さんは、日本のカーリング界に多大な貢献をした「カーリングの父」として知られています。
この記事では、小栗祐治さんのWikiプロフィールや彼が日本のカーリング界に残した功績について詳しく紹介します。
また、小栗祐治さんには妻や子供がいるかどうかについても探ります。
そして小栗祐治さんとロコ・ソラーレのメンバーとの出会いなどもお伝えしていきます。
小栗祐治のwikiプロフィール!出身や経歴は?
冬の到来に沸く常呂を訪れ#カーリング のまちの人々の思いを伝える🥌
— NHK北海道 (@nhk_hokkaido) March 7, 2025
📺北海道中ひざくりげ 選
冬 笑顔はじけて カーリングの町
3/8(土) 午前10:05 総合・北海道
(2007/1/13 放送)
8日 夜7:30 放送の #新プロジェクトX に登場する
小栗祐治さんも出演されています
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- 名前 小栗祐治(おぐり ゆうじ)
- 出身 北海道常呂町
- 生年月日 1929年頃 (2017年88歳死去)
小栗祐治さんは、日本のカーリング界に多大な貢献をした「カーリングの父」として知られています。
小栗祐治さんは北海道常呂町(現在の北見市常呂町)に生まれ育ち、幼少期から冬のスポーツに親しみ、雪遊びやスキーを楽しんでいました。
小栗祐治さんがカーリングと運命的な出会いを果たしたのは1980年のことです。
当時51歳だった小栗祐治さんは、カナダ・アルバータ州で開催されたカーリング講習会に参加し、このスポーツの魅力に取り憑かれました。
それから小栗祐治さんは「カーリングを広めたい」という一念から、常呂町に野外リンクを作り、町内大会を開催しました。
このことをきっかけに常呂町でカーリングが広まりました。
1987年、小栗祐治さんは常呂カーリング協会を設立し、カーリングの普及活動を本格的に開始しました。
そして地域住民や学校と連携し、特に子供たちへの指導に力を入れました。
小栗祐治さんの努力は1995年、日本初のカーリング専用施設「常呂カーリングホール」の設立という形で実を結びました。
この施設は、日本のカーリング競技の発展に大きく貢献することになります。
小栗祐治さんの経歴を時系列でまとめると下記の通りです。
- 1929年頃:北海道常呂町(現在の北見市常呂町)で生まれる
- 1980年1月:51歳の時、北海道池田町でのカーリング講習会に参加し、初めてカーリングに触れる
- 1980年:常呂町でカーリングチームを結成し、カーリング協会を立ち上げる
- 1981年:第1回NHK杯カーリング大会に選手として出場
- 1984年:常呂町のメンバーとカナダ遠征を実施
- 1987年:常呂カーリング協会を設立
- 1988年:国内初の屋内カーリングホールが常呂町に完成、若手選手の育成に注力
- 1995年:日本初のカーリング専用施設「常呂カーリングホール」の設立に尽力
- 2017年5月26日:88歳で肺がんのため北見市内で逝去

小栗祐治さんたちは当初カーリングの道具がなかったため、セメントを詰めたビールのたるやガスボンベをストーン代わりにしていました。
駐車場に木枠をおいてリンクを作った時期もあったり、大の大人がほうきで氷を掃く様子は「滑稽」といわれることもありましたが、とても話題にもなりました。
小栗祐治さんたちのカーリングに対する情熱を感じられますね。
小栗祐治「小栗のおじさん」の夢を叶えたロコ・ソラーレ本橋麻里との関係は?

小栗祐治さんは、単なるカーリングの指導者ではなく、日本にカーリングを根付かせた「カーリングの父」として広く認識されています。
彼の活動は、スポーツの普及という枠を超え、地域振興や人材育成、国際交流にまで及びました。
小栗祐治さんは多くの若い選手の育成に携わり、「小栗のおじさん」として親しまれていました。
小栗祐治さんの指導方針は厳格でありながらも温かく、多くの選手たちの心に深く刻まれました。
小栗祐治さんの夢は、「この小さな町からオリンピックに出る選手を育てたい」というものでした。
そして、その夢は、彼の指導を受けた選手たちによって見事に実現されました。
特に、平昌オリンピックで銅メダルを獲得したロコ・ソラーレのメンバーは、小栗祐治さんの指導を受けた選手たちでした。
小栗祐治さんと本橋麻里さんの関係は、カーリングを通じた師弟関係であり、「カーリングの父」と「弟子」という深い絆で結ばれていました。
本橋麻里さんは12歳の頃、常呂カーリング協会会長だった小栗祐治にスカウトされ、少年団でカーリングを始めました。
12歳から始まった本格的な競技人生。
ごく普通の少女だった本橋麻里さんの生活は一変し、すべてをカーリングに捧げる日々が始まったといいます。
本橋麻里さんは小栗祐治さんの指導を受けた選手の一人であり、後にロコ・ソラーレの創設者となりました。
小栗祐治さんの夢を実現する重要な役割を果たし、2018年の平昌オリンピックで銅メダルを獲得しました。
小栗祐治さんの情熱と指導が、本橋麻里さんをはじめとするロコ・ソラーレのメンバーを育て、「小栗のおじさん」の夢を叶える原動力となりました。
彼らの関係は、一人の人物の情熱が次世代を育て、大きな成果を生み出した素晴らしい例といえるでしょう。
小栗祐治さんが亡くなったあと本橋麻里さんは感謝の言葉を捧げました。
チームの恩人にして常呂町のカーリングの父ともいえる小栗氏は、平昌五輪の開幕を待たず、2017年5月に88歳で亡くなった。平昌で銅メダルを獲得したあと、本橋は感謝を捧げている。
「小栗さんがいなければ、私はカーリングをしていませんでした」
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02039/
現在、本橋麻里さんは小栗祐治さんの遺志を継ぐかのように、若い選手の育成や普及に力を注いでいます。
カーリングの父・小栗祐治に結婚した妻や子供はいる?

小栗祐治さんの私生活については、公開されている情報が限られています。
しかし、いくつかの重要な事実が確認されています。
小栗祐治さんには結婚した妻がいたことが確認されています。
ただし、妻の名前や詳細な情報については公開されていません。
子供については、明確な情報が見つかりませんでした。
小栗祐治さんの家族構成や子供の有無については、公開されている情報からは確認できません。
小栗祐治さんは、カーリングの普及と選手育成に人生の多くを捧げました。
彼は常呂町の多くの若者たちを指導し、「小栗のおじさん」として親しまれていました。
このことから、小栗祐治さんにとって指導した選手たちが、自身の子供たちのような存在だったのかもしれません。
小栗祐治さんは2017年5月26日、88歳で肺がんのため北見市内で亡くなりました。
彼の死は、日本のカーリング界に大きな喪失感をもたらしました。
「私たちは日本にカーリングを持ってきてくれた小栗祐治さんが残してくれたレガシーの一部でもある」
とロコ・ソラーレのメンバーも想いを語っていました。
まとめ・小栗祐治のwikiプロフィール!カーリングの父に嫁や子供はいる?
小栗祐治さんは日本のカーリング界に多大な貢献をした「カーリングの父」として知られています。
51歳でカーリングと出会い、その後の人生をこのスポーツの普及と発展に捧げました。
小栗祐治さんの夢であった「小さな町からオリンピック選手を育てる」という目標は、見事に実現されました。
私生活については、小栗祐治さんには妻がいたことが確認されていますが、子供についての明確な情報は見つかりませんでした。
小栗祐治さんは多くの若い選手たちを指導し、「小栗のおじさん」として親しまれていたことから、指導した選手たちが自身の子供たちのような存在だったのかもしれません。
2017年5月26日、88歳で亡くなった小栗祐治さんの遺志は、現在も日本のカーリング界に受け継がれています。
小栗祐治さんの功績は、これからも日本のカーリング界に大きな影響を与え続けることでしょう
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