馬淵かの子の 死因は肺炎!パリ五輪後にすい臓がんで入院していた!

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水泳の飛び込みで五輪3大会に出場し、指導者としても実娘の馬淵よしの選手、寺内健選手、玉井陸斗選手などを育てた馬淵かの子さんが4日午後7時48分、肺炎のため神戸市の病院で死去されました。86歳でした。

パリオリンピックの後から体調を崩されていて、入退院を繰り返していたそうです。

パリオリンピックに飛び込み競技初の銀メダルを取った玉井陸斗選手との画像など紹介していきます。

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目次

馬淵かの子のWikiプロフィール!

  • 名前 馬淵かの子(まぶちかのこ
  • 国籍 日本
  • 泳法 飛込競技
  • 生年月日 1938年1月6日
  • 生誕地 日本・兵庫県神戸市兵庫区
  • 没年月日 2025年1月4日(86歳没)

馬淵 かの子さんは日本の元飛込競技選手です
現役時代は倉敷レーヨンに所属していました。

1954年、16歳で日本代表としてアジア大会に初出場

1954年から1974年までのアジア大会にて3m飛板飛込と10m高飛込で計5個のメダルを獲得しました。

娘の馬淵よしのさんもオリンピックに出場した飛込競技選手です

現役引退後は夫の馬淵良さんと共にJSS宝塚スイミングスクール(日本国内初の飛込競技専用屋内プール)を立ち上げました。

実娘の馬淵よしの選手、寺内健選手、玉井陸斗選手など数多くの選手を指導、80歳を超えるまで現役指導者でした。

2024年パリオリンピックには指導した玉井陸斗選手が男子高飛込に出場し、銀メダルを獲得して共にとても喜んでいました。



その後体調を崩し、膵臓がんに罹患している事が判明し、入退院を繰り返していました。

2025年1月4日、肺炎のため、神戸市内の病院で死去されました。86歳でした。

馬淵かの子の 死因は肺炎!パリ五輪の後に体調崩し入退院で原因は膵臓癌

馬淵かの子さんご自身も水泳飛び込みで五輪3度出場、

実娘の馬淵よしの選手、寺内健選手、玉井陸斗選手など数多くの選手を指導、80歳を超えるまで現役指導者でした。

パリから帰国した玉井選手は、馬淵さんの元へ駆けつけました。

銀メダルを首にかけてもらった馬淵さんは、玉井選手の手を握り、「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう!」と何度も何度も感謝の言葉を繰り返しました。

飛び込み競技で初の五輪メダル!感激しましたね


しかし、それから数日後、馬淵さんの体に異変が起きました。
急に体調を崩したのです。

その病気は「膵臓がん」でした。

そこから闘病生活で入退院を繰り返していましたが、2024年の年末に肺炎にかかり、
2025年1月4日、馬淵さんは天国に旅立ってしまいました。
夢を叶えてから、わずか4ヶ月後のことでした。

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馬淵かの子死去にSNSの声は?

玉井陸斗選手に銀メダルをかけてもらって、
肩を組んで喜びの笑顔の馬淵かの子さん。

スポーツ界に大きな影響を与えた馬淵かの子さん
感謝と尊敬の声がたくさん

馬淵かの子さん、80越えても飛び込みのコーチしてて「すごい」
テレビを見ててみんな思いましたよね

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まとめ・馬淵かの子の 死因は肺炎!教え子の玉井陸斗の銀メダルからわずか4ヶ月

今回の記事では、水泳の飛び込みで五輪3大会に出場し
指導者としても実娘の馬淵よしの選手、寺内健選手、玉井陸斗選手などを育てた
馬淵かの子さんが死去されたのでご冥福をお祈りするとともに

パリオリンピックで飛び込み競技初の銀メダルを取った玉井陸斗選手との画像など紹介しました。

水泳界にとって素晴らしい功績を残され、生涯飛び込み競技を広めていかれた馬淵かの子さん

心よりご冥福をお祈りいたします。


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